SSブログ

運命の出会い(その2) [はじめに]

 朝日連峰縦走3日目の夕方のことである。その日は狸穴小屋泊、4、5組のパーティとの同宿だ。そんな中、少し遅れて二人組の女性パーティが我々の隣にやってきた。彼女らが落ち着くと、新潟のS翁がすかさず話かける。人好きというか、年の功というか。食後のデザートにさつまいもを蒸かしていた私に、同僚のT君も「彼女達にも少し分けてやろう」と悪のりする。そして寝るまで話がはずんだ。単独行だったらあり得ない展開だ。その翌日は5人になって大鳥池小屋泊まり、T君が周辺の沢で釣ってきた岩魚をサカナにして盛り上がる。

 3年後の八幡平ー岩手山縦走・6年後の焼石山行を経て、7年後、その二人組のうちの一人が私の妻となった。出会ったのが狸穴小屋だけに、化かされたのはどちらだろう。S翁が縁結びの神だったのか。以来、山登りは二人で登ることが普通になった。

運命の出会い(その1) [はじめに]

 1980年9月、朝日連峰を縦走したときの話である。珍しく会社の同僚と二人での山行だ。初日の朝、米坂線小国駅から朝日平へ北上する路線バスに乗る。終点まで乗る客は、我々の他に一人の老人がいるのみだった。その老人も山登りらしく、小さなリュックを背負い、杖がわりにピッケルを持っていた。まだ、登山用のストックが流行する前のことだ。林道を歩き始めれば、その老人も我々の後をついて来る。

 お互いの行き先を教え会い、我々が朝日連峰縦走だと知ると、「私もお供させてください」と頼まれる。荷物の違いもあり、問題なかろうと承諾してしまった。これより助さん格さんと黄門様よろしくの山歩きが始まる。この方がその後、山日記の中で時々顔を出す、新潟のS翁だ。

 カクナラ小屋から大朝日岳への登りでは、先にヒョコヒョコと登って上で我々が追いつくのを待っている。そんなことの繰り返しで、その時は少々イラっときた。ただ、我々に合わせるために無理をしていたようで、我々との山から返って来ると二三日は死んだように眠っている、とS翁の奥様がずっと後に仰っていた。

続きを読む


ハンドルネームの由来 [はじめに]

 1995年冬、パソコン通信を始めた時のことである。当時はまだインターネットは一般的ではなく、パソコン通信という、文字を主体にネットワーク上で交流する方法が流行っていた。私もその中の「山のフォーラム」と呼ばれる場所に参加した。

 最初に、ハンドルネーム(単にハンドルとも言う、ペンネームのようなもの)を何にしようかと思案した。そのとき足元を見たら、自分が履いているアライグマのアニマルスリッパが目についた。我が家ではこれを「タヌ」と呼ぶ。冬だったから「ゆき」、で「ゆきタヌ」と言うことにした。以来、山歩きの書き込みでは、このハンドルネームを使うことになった。

 インターネットが一般に広まるにつれて、いつしかパソコン通信は廃れてしまった。今では、インターネット上のSNSがそれに代わるものであろう。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。